HISTORY
シクロクロスの歴史
シクロクロスは、ロードシーズンが終わる9月から翌年2月にかけて行われる
歴史は1900年代の初めにフランスで始まった。初めてシクロクロスを行ったのはダニエル グーソー Daniel Gousseau であった。後にフランス車連の会長となる彼は若い兵隊であった。隊長が馬にまたがり、自身は自転車で野山を駆けた。グーソーの情熱は次々に友人に広がり冬の娯楽となった。
1902年、グーソーは最初の国内選手権を開催した。デ・バーデル De Baeder が初代チャンピオンとなった。この競技の本当の転機はオクタビ ラパゼ Octave Lapize による。彼はシクロクロスをこなしたあと1910年のツールドフランスに勝利した。春から初秋にかけて、クラシックレースや、ツールドフランスのようなステージレースを走った後、タイヤ、ブレーキ、泥はけを強化したロードレースと同じような自転車で郊外の丘陵で競走をする競技の位置付けができた。冬もレースを見たいクレージーな客が長靴を履いて集まり、冬も稼ぎたいレーサーとが集まり、毎週どこかに特設サーキットを作って競走を開くようになった。
第1回の国際クリテリウム
国際レースの先駆けとなる第1回の国際クリテリウムが1924年のパリで開かれた。しかしシクロクロスは公式競技ではなかった。フランス人のガストン・デギー Gaston Degy が勝利した。以後、チャールズ ペリシェ Charles Pelissier が1926、1927、1928と3連覇。マース型ハンドル(ドロップハンドル)に名を残すベルギー人のシルビア マース Sylvere Maes が1933、ロベルト・オブロン Robert Oubronが 1937、1938、1941、1942に勝利している。残念ながら、今ドロップハンドルをマースバーと呼ぶのはランドナーに乗るおじさん世代だけになってしまった。(出典 2008 シクロクロス世界選手権トレビソ パンフレット)
1950年になりようやく世界選手権となった。パリで行われ、ジャン・ロバック Jean Robic が初代のチャンピオンとなった。歴代最高のスター選手はベルギーのブラマンク Eric De Vlaeminck であろう。1966年に20歳でレインボージャージを手にした。そして1968年から1973年まで6連覇した。世界選手権では1976年からジュニアカテゴリーが始まった。1995年スイス エッシェンバッハでU23ヨーロッパ選手権が併催され、1996年パリ・モントリューからはU23世界選手権が開催された。
日本でも
日本でも40年近く前から埼玉県の丘陵で行われていた。1983年、森幸春がイギリス バーミンガムの世界選手権アマチュアカテゴリーに47位で完走したことは国内の歴史とは別の出来事であり、歴史は止まっていた。
1986年、初代のシクロクロス小委員会座長の藤森氏が留学先のオランダから長野県へ、サーキットで行うシクロクロスシリーズを持ち帰った。第1回のシクロクロスミーティングである。森と三谷寛志のマッチレースであった。この冬3戦が行われた。
それからポイント制の最強者を決めるシリーズ戦が各地に拡がった。リシャールグロネンダールやティムゴールド、ハンカ・クップファーナゲルが来日し、ヨーロッパのレースのアドバイスを開催者、そして若い選手たちに伝えた。
1989-1990シーズン、当時大学生の大原満がシクロクロスミーティングリーダーの賞でヨーロッパ修行に出かけた。翌1991年、オランダ ギーテンの世界選手権で三谷、大原が完走。ここから世界挑戦が現実のものとなった。
第1回の全日本選手権
第1回の全日本選手権は1996年1月14日に氷雪の中、1986年のシクロクロスミーティング第1回の会場の長野県原村で行われた。男子は大原満、女子は川崎典子が勝利した。
なお前AJOCCホームページは1995-1996シーズンから始まり、この年のシクロクロスミーティング、全日本選手権、世界選手権のレポートを掲載した。
シクロクロス フランス教本 (2014年11月25日版)
1990年初めに作られたフランスの教科書が、藤森信行氏、小島裕樹氏により持ち込まれ訳されたものである。2006年に富樫慎治氏が再構成した。写真は柳川雅夫・久保信人両氏、富樫氏が2004年世界選手権で撮影したものなどを使っている。
※ ハンドルのポジションなど、一部最新の内容ではないことをご理解ください
シクロクロス_フランス教本2014.pdf






















